苦しんでいる新社会人へ

昨年のちょうど今頃、私は入社3ヶ月目にして、早くも仕事の壁にぶつかり、ついに体調不良(精神疾患)の診断を受けました。

そして、約1ヶ月の休職を経験しました。

今日は、休職期間にいろんなことを考えて、そのうえで達した自分なりの「生き方」の結論を簡潔に話します。

 

休職期間中は、1人でぼっーっとしていたり、このようにコラムを書いて気持ちを整理したり、美味しいものを食べに出かけたり、学生時代の友人に会いに行って、遊んだり、悩みを相談したりしていました。

 

その時々で、悩みが深まって絶望感に苛まれたり、気分が上がったりと、様々な自分と出会いました。

そうこうしているうちに、気持ちの整理がついていき、生きていくうえで大事にすべきことは、以下の2つだと考えました。

 

①今を生きること

②人として正しいことをすること

 

この2つだけは必ず肝に銘じて、人生の行動を決めていくことにしました。

そうすることにより、今でも悩むことがありますが、この2つに合致しているのか、という視点で考えることにより、妥当かつ自信のある答えを導くことができているとではないかと思っております。

 

①の今を生きるというのは、未来は「今」の積み重ねでできているという考えに基づくものです。1年前の私は、仕事でうまくいかなかったため、何に対してもマイナスの感情を持ってしまい、「未来」のことを考えても、全く自分が幸せに生きている姿が想像できませんでした。結局、うまくいかないときに未来のことを考えても、ろくなことはないと気づき、どうせなら「今」を精一杯生きる、本気で楽しむ方が幸せだと思ったのです。

 

②の人として正しいことをするというのは、人を傷つけることだけはしないようにという信念から来たものです。何が正解で何が間違いかは、人の価値観にもよりますが、ほとんどは小学生時代に教わったことだけで判断ができると思います。1年前の私は精神的に参っていて、この醜い世界に対して恨みのような感情を持っていました。しかし、仕事から離れて友達と遊んだり、美味しいものを食べたりするうちに、意外とこんな世界にも良いところはあるし、生きる価値のある世界だと気づきました。なので、感謝の意味も込めて、1人の人間として正しいことくらいはちゃんとしていこうと決めました。

 

もし今、仕事などで苦しんでいる人がいれば、一度頭の中を整理してみることによって、案外単純だった、自分なりの信条に気づくことができるのではないでしょうか?

悩み苦しんだときに出した答えは、今後の人生の羅針盤になると思います。

応援しています。がんばってください。

死刑

今、ある番組を見ている。

 

番組内では、川で天然鮎を捕まえ、生きてる鮎にそのまま口から串を刺し、丸焼きにするという。

 

ミシュラン三つ星の料理人が、「生きている間に串を刺して焼いた方がおいしいんですよ」と言う。

 

しかし、私はふと思った。

「これは料理ではない。死刑だ。」

 

想像してみてほしい。

 

川を泳いでいると、急に巨人に捕まえられ、口から尻までグサっと串を刺される。死にそうになるが、必死に息をする。しかし、次の瞬間、下から火をあてられ、めちゃめちゃ暑いやんけ、となる。どうやら焼かれているのだと気づく。汗が止まらないというレベルではなく、燃やされている。そして、死ぬ。そして、巨人に食べられるのだ。

 

人間にとっては、とても美味しい料理だ。しかし、人間の一瞬の感動のために、魚を殺していいのか。殺すにしても、もっとマシな殺し方はないのか。

 

人間の世界では、人を殺したら犯罪者となる。また、さらに酷いことをした人は、死刑になる。死刑制度については、世界中で、賛否の声があがっている。

 

でも、でもね、

そんなこと論じる以前に、人間はひどいことをしている。動物にも。魚にも。

食物連鎖」という言葉では片付けられないほどのことをしてしまっている。

 

魚にも心はある。言葉が通じないだけだ。人間は人間にだけ優しくすればいいのではない。魚や動物にも優しくありたいものだ。

食べなければ生きていけないから、しょうがないが、料理の仕方、すなわち生物の殺し方については、もっと考える余地があるだろう。

 

動物愛護法みたいな法律はいらないが、優しさは持つべきだと思う。

歩きスマホ

「歩きスマホ」、略して「アホ」である。

 

歩きスマホをしている人は、歩きスマホが人に迷惑をかけていることを認識しているのだろうか。自分に向けられている冷ややかな目線を感じているのだろうか。

 

認識していない、感じていない、というのなら、歩きスマホは単純にその人が鈍感だということだ。要するに、アホだ。アホなのは構わないが、駅のホームなど、多いに人に迷惑をかける場所では控えていただきたい。

 

認識している、感じている、という人もいるだろう。その人は、歩きスマホはダメだと分かっていながら、あるいは、周囲からの厳しい目線にも気付きながら、それでもスマホをいじってしまう。たぶん「スマホ依存症」なのだ。これはアホというか、病気である。酒は麻薬の場合と同じように、しばらくスマホのない生活を送っていただきたい。

 

中には、自分なりの正義を持って、歩きスマホをしている人もいる。例えば、上司からのメールに即返信しなければならないとか、妻に「帰りに牛乳買ってきて」と言われ、返信しないと状況がややこしくなるケース。

そういった人は、LINEやメールを打つことの優先順位が1番高い。だから、周囲からうざがられることは許容範囲で、人に迷惑をかけてでもいいから、どうしてもLINEを返さなければならないのである。その場合の歩きスマホは、「アホ」ではない。というより、めちゃくちゃ賢い人でも、優先順位のつけ方ゆえにしてしまうのだ。一種の正義に基づいた行動であり、私にこれを否定する権限はない。許す。

 

ただ、1番やっかいなケースがある。それは、歩きながらスマホゲームをしている男!そして、歩きながらLINEマンガを読んでいる女!

 

そういった人は、紛れもなく「アホ」である。ゲームやマンガという趣味を持つことは素晴らしい。歩きながらも画面を見てしまうほどの熱中ぶりには敬意を表したい。

しかし、人に迷惑をかけてまで熱中すべきではない。私は、基本的に人の個性を尊重したいタイプの人間だが、ジコチューなやつは嫌いだ。自分の意見を言うやつは好きだが、人を傷つけることに抵抗がないような、道徳心のカケラもない人間は大嫌いだ。駅や商業施設といった人混みで、歩きながらゲームやマンガの画面を見ているようなやつは、ジコチューに決まっている。周りも見えてないし、人に迷惑をかけることと引き換えに自分の余暇を楽しんでいるゴミクズであり、天罰が下ればいいと思う。

 

そういう人には、上からチョークの粉まみれの黒板消しが降ってきたらいいと思う。あるいは、私が1億円の骨董品を正面に抱えて反対側から歩き、そいつとぶつかって1億円の骨董品を割り、そいつに1億円の賠償金を払わせたいとさえ思う。

 

とにかく「歩きスマホ」は「アホ」である。

マニフェスト

〇消費税

10月の増税には賛成。軽減税率やキャッシュレスポイント還元策にも賛成。

ここにきて増税反対とか言ってる人の気持ちがわからない。

景気がそこまで悪いか?増税凍結しても景気が大きく回復することはない。

消費税を20%まで上げたい。その代わり、教育や介護などを手厚くする。

 

所得税

消費税を20%に上げただけでは、所得の少ない層が困る。

だから、富裕層からはもっと税金を搾り取る。

もう仕事したくありません。これ以上お金稼いでも税金で全部取られるもん。

って富裕層に嘆いてほしい。

つまり、富裕層っていうのは大企業で役員や管理職をやっている強者だが、

そいつらは働きすぎだ。働き方改革を一番やらないといけないのはそいつらだ。

そういう意味も込めて、もう働いても稼ぎ変わらんやんってくらいに、

所得税累進課税を強める。

例えば、今年収1000万の人がいたとして、僕のマニフェスト導入後は、めちゃくちゃ所得税に消えるので、年収700万くらいの人と同じ可処分所得に落ち着く。

 

〇嗜好品

富裕層からはもっと搾り取る。

富裕層の大好きな、高級ブランド品、お酒、タバコ、などいわゆる嗜好品に対して、もう買う気が失せるほどの税率をかける。

特に、お酒とタバコ。あんなもの別になくても困らない。なくてはならないというのなら、そいつが働きすぎでストレスが溜まっているからだ。

健康を害する要因にもなる。医療費を削減するためにも、そういう健康を害する嗜好品はできるだけ買わないでほしいのだ。そのための増税である。税収を増やす目的より、健康増進の意味合いが強い。

例えば、居酒屋で1杯300~500円で販売されているビールは、僕のマニフェスト導入後は、1杯2000円くらいになると思う。

また、タバコも1箱2000円くらいになると思う。

そうすれば、よほどの中毒者でない限り、買うことを諦めるだろう。

 

法人税

あまり上げたくない。法人税の低い海外に逃げられるのが怖いからだ。

 

相続税

相続税を100%にする。つまり、死んだときに残っているお金は政府に寄付される。

ただ、制約を設ける。

まず、配偶者への相続。このとき、相続税は0%にする。

だから、老夫婦が二人で暮らしていて、先に夫に先立たれても、妻はそのまま資産を引き継ぐ。住居もそのまま。借金もそのまま。

それで、法定相続人の順位とかややこしいことはやめる。

配偶者2分の1ではなく、全部配偶者に相続させる。子どもに相続権はない。

しかし、配偶者がいなければ、現行通り子どもが相続する。

だから、老夫婦で先に夫が死亡し、次に妻が死亡したら、結局子どもに相続される。

しかし、ここで相続税100%が発動される。

要するに、子どもが相続するものはない。

しかし、例外を設ける。

株などの金融資産を持っていた場合、軽減税率を発動する。

現預金に対しては100%税金になるが、他の金融資産で持っていた場合、50%にする。

そうすることによって、預金による貯蓄ではなく、投資による資産形成へとシフトを促す。

※こんなに相続税を上げると、生前贈与が多発するので、贈与税も見直す。

基礎控除110万円を廃止し、税率も上げる。

 

〇国会議員

半分でよい。何百人もがあんな広い国会議事堂に集まる意味が分からない。

仕事の量も半分にすればよい。しょうもない〇〇委員会とかやめたらいい。

スカイプとか、LINEでも議論できるようなことがある。

大した用事もないのに一堂に会しておしゃべりする必要もないし、大量の紙を印刷するのはもったいない。交通費などももったいない。

 

〇選挙

Web投票にする。

今は高齢者投票率が高く、若者は選挙に行かない。

でも、未来を担うのは若者だ。

でも、わざわざ投票所に行くほど暇でない人もいるし、転勤などで遠方に行っている人もいる。

期日前投票とか親切な仕組みを設けてくれるのは嬉しいが、一番合理的なのはWeb投票だ。今の技術力なら絶対できる。

そうすれば、若者の投票率も上がる。

 

〇子育て

一人出産するごとに2000万円を支給する。

財源は、20%に上げた消費税、100%に上げた相続税、少しずつ引き上げた所得税贈与税

 

外国人労働者

めちゃくちゃ受け入れる。

普通にウエルカム。

だって、同じ人間だもの。

嬉しいやん。将来性も大してないような日本にわざわざ来て、手を貸してくれるって。

犯罪が多くなる?それは外国人だけのせいではないと思うよ。

日本社会が生きづらいのかもしれないし、日本人が執拗に外国人を毛嫌いしてしるだけかもしれない。外国人にとっても住みよい国を作りたい。

 

憲法改正

どっちでもいい。

だから、国民投票したらええねん。

野党も何をそんな意固地になっている?

発議するだけやん。3分の2必要やから協力してくれよ。

あとは国民の判断に委ねようや。

いつまでも国会議員同士で話し合っても終わらへんやん。

憲法改正について話し合って何年になる?そのコストももったいないわ。

 

原発

稼働させる。

ただ、今後もずっと原発に頼りたいわけではない。

しかし、現状では原発なしでは厳しい。

そのしわ寄せは火力発電に来る。

火力も火力で環境面のデメリットが多い。

水力、風力、地熱などの環境にやさしい発電方法を模索しているが、

日本の大部分を賄えるほどは伸びていない。

そういった新しい発電が普及してくれば、原発は火力を減らす。

原発付近にお住まいの方は、不安かもしれない。

しかし、原発事故での被害者より、自動車事故の被害者の方が多い。

何が言いたいかって、万が一のことを危惧するあまり、

日常生活に支障をきたすのは良くないってこと。

原発を今すぐ廃止にするなら、自動車を日本から消す必要がある。

 

 

人間なら誰しも、人として善い振る舞いをすべきである、また、そうしたいと思っているはずです。

 

では、人として善い行いとは、何ですか?

 

人を傷つけない。

嘘をつかない。

約束を守る。

 

このような簡単なことは、小学校までに教わりました。

 

しかし、現実世界では、「善」なのか「悪」なのかはっきりしない事象がたくさんあります。

 

傲慢な上司に物申すのか、我慢して従順になるのか。

幼い頃からの夢であるプロ野球選手を目指すのか、自分の実力では無理だと諦めるのか。

 

こういった問題は、各人なりの「善」あるいは「正義」に則って、解決していかなくてはなりません。

これを「決断」と呼びます。人生は大小様々な「決断」の連続です。

「決断」に客観的正解はありません。その人が自分なりの「正義」に基づいて決めた道であれば、すべて(主観的)正解になります。

 

冒頭で、人間誰しも「善い」行いをすべきであると述べましたが、要するに、物事の善悪は誰にも決められないのです。

人はそれぞれ価値観が違い、自分の信じる「正義」に基づき、「善」だと信じる道を行きます。

 

と、ここまで、つらつらと仏教の教えのようなことを語ってきましたが、本当に私が伝えたいのは、

 

人を悪者扱いするな!

 

ということです。

 

あなたの周りにもいませんか?

人の生き方について、あーだこーだ言う人。

(あたかも自分の生き方こそ「善」であるかのように)

 

まあ実は、私自身もそういう節はありました。しかし、会社を1ヶ月休み、いろいろ考えていくうちに、「みんな自分なりに精一杯生きているんだ」と気づきました。

その生き方を批判したりする権利が誰にありますか?あるとしたら家族くらいでしょう。

 

以前の私は、自分の生き方・選択が正しいと思っていました。すなわち、自分とは正反対の生き方をする人を卑下していました。

 

例えば、真面目に勉強しない人。

私は良くも悪くも真面目なタイプでしたので、日々の宿題から受験勉強まで、わりとストイックに取り組みました。

一方で、全然勉強しない、ちゃらんぽらんな人もいます。そんな人を見て、「なんで勉強せえへんのやろ。アホちゃうか。」と心の中で思っていました。

つまり、自分が「善」であり、そうでない生き方を「悪」と決めつけたわけです。

 

しかし、ようやく私はそのような愚かな考えを改めました。今なら、勉強しない人の立場でいろんな想像を働かせ、理解しようとします。

 

その人は、勉強に意味を感じていないのかもしれません。あるいは、勉強よりどうしても今やりたいことがあって、それに情熱を注ぎたいのかもしれません。

 

そう考えると、勉強しないことも「善」だと思えます。もしその人が勉強時間を捨ててYouTubeばかり見ていたとしても、将来すごいYouTuberになったらそれでOKですから。

 

例をもう一つ。

私は高校時代野球部に所属していました。当然、部員の中には3年間続けられなくて辞めてしまう人もいます。

その当時、私は3年間続けた側ですから、「続ける」ことが「善」であるという錯覚をしていました。すなわち、辞めた奴は「悪」だと。メンタルが弱いとか、周りからもそういう目で見られてしまうんです。

でも、終わった今になって思いますが、3年間野球を続けることが本当に「善」なのですか?

今の僕は、別にそうは思わないです。

野球を辞めたらそれはそれで、時間に余裕ができて、学業を頑張ったり、学園祭に注力したり、また別の収穫があったはずです。

 

で、この考え方って仕事にも通じると思うんです。会社を辞める人っているじゃないですか。新入社員の3割が3年で辞める時代ですが、未だに辞める社員を「悪」だと決めつける風潮があります。

とりわけ、長年その会社を続けてきたおっさんどもが、そういった考え方をお持ちです。

おっさんどもは、会社を続けてきた自分を「善」だと解釈し、肯定感が欲しいだけなのかもしれません。

だからといって、自分は「善」で、違う生き方をする奴は「悪」だと決めつけるのはおかしいのではないでしょうか。

 

その逆もしかりで、転職組は会社にしがみついている人を「悪」だと言いますが、これも良くありませんね。

 

人を尊重する。

 

難しいけど、大事なことです。

人生のゴール

人生のゴールは一体どこにあるのだろう。

 なんてことを私はふと考えることがあります。

 

今までの人生を振り返ってみれば、

小学生くらいまでは無邪気に遊んだり、

毎日暗くなるまで野球の練習に明け暮れたり、

ゴールなんて意識せずに自由に生きていました。

 

しかし、中学生になると、

「偏差値の高い高校に行くこと」が目標になり、

というより、それがゴールかのような教育を受け、

常にそれを意識して努力を積み上げていました。

 

そして、同様に、高校時代は

「偏差値の高い大学に行くこと」がゴールに

なってしまいました。

大学時代は、「良い会社に就職すること」が

ゴールになっていました。

 

各ステージにおいて、ゴールがあったにもかかわらず、

ゴールにたどり着いてもまた、

「高校に入ってからが勝負だよ」

「大学に入ってからが勝負だよ」

「会社に入ってからが勝負だよ」

と言われ続けるわけです。

 

一生勝負やんけ!

と、ツッこみたくなります。

 

ですので、そのゴールの先に明るい未来が待っている!

という期待をして、歯を食いしばって努力をしたとしても、

そのゴールの先でまた、人生の先輩たちから、

「〇〇に入ってからが勝負だよ。努力し続けろよ。」

なんて言われたら、人間ならいつか気持ちが切れてしまいます。

 

結局、努力を楽しめる、あるいは、

努力を努力とすら思わない(ほど努力の対象が好き)

というタイプの人間が最強なのでしょう。

 

プロ野球選手になるような人には、

「大して努力してないよ」と自分では言いながら、

他人から見たら、人一倍練習している選手がいます。

 

それくらい、野球が好きで、「野球の練習=努力(苦)」

とは思っていないのでしょう

そのため、ゴールの先でまた苦しい現実に直面しても、

「好きな野球ならいくらでも練習してやる!」

という気持ちになれるのでしょう。

 

日本においては、苦しい努力の代表に「勉強」があります。

 

その「勉強」という努力ができる人には

①勉強が好きな人

②勉強すれば明るい未来が待っていると信じている人

の2つのパターンがあると思われます。

 

①のような人は、幼い頃から秀才で、

だいたいそのまま高学歴になりますよね。

 

②のタイプの人は、私もそうでしたが、

「勉強すれば、いい大学に行けて、いい会社にもいける」

と信じて、その明るい未来のために嫌な勉強もやり続けた

という、いわゆる「意志の力」で努力してきた人間です。

 

ただ、②の弱点は、ゴール(目標)を失ったとき、

努力する動機も失ってしまうことです。

(私も社会人1年目ですが、実際にそうなっています)

 

こうならないためには、

ゴール(目標)を自ら設定する力が必要です。

 

あるいは、人生のゴールを「死ぬこと」と解釈し、

努力しない、自由な生き方を選ぶのもありです。

「人生なんて、死ぬまでの暇つぶしだ」という考えですね。

 

元々人間は、生まれたときから人生がスタートするわけですから、

ゴールを「死ぬこと」をするのは、間違いではないと思います。

 

「人生のゴール」を考え始めれば、答えが見つからなくなりますね。

個人的に、結局「ゴールなんて考えなくていい」と思いますけどね。

 

考えるのに疲れてきたので、このあたりで失礼します。

 

お読みいただきありがとうございました。

幸せになる

私の初めてに書いたブログのタイトルが、

「幸せとは」でした。

 

そのブログの中で私が出した「幸せとは」の

答えは、「今、幸せだと感じていること」でした。

 

そこで、どうやったらその「幸せ」が

今、実現できるのか考えました。

 

というわけで、以下では

私なりの「幸せになる方法」を述べます。

 

 

大事なのは「足るを知る」ことです。

 

「今の状況がいかに幸せであるかを理解する」

ということです。

 

例えば、私はつい最近まで、

自分の会社に対する不満がかなり募っており、

「会社を辞めたい」「転職したい」

と本気で考えていました。

 

しかし、

他の会社の説明会に行ったり、

別の会社で働く知人と話すうちに、

「うちの会社も悪くないな」

と思えるようになりました。

 

もちろん、今の会社に対する不満もまだまだあります。

「会社を辞めたい」「転職したい」という気持ちも

まだまだなくなっていません。

 

しかし、あくまで今の環境下で

「幸せになる方法」を考えたときに、

「うちの会社も悪くないな」

と考えることが、

自分の今の幸福度を最大化すると思い、

半ば無理やりポジティブに捉えているだけです。

 

「幸せになる方法」には

①環境を変える

②自分を変える

の二つの方法があります。

 

①に関しては、

今すぐできることではないため、

長期的な視点に立てば有効ですが、

すぐに現状を打破したい場合は、

非現実的な選択肢となります。

 

一方、②に関しては、自分のマインド(捉え方)を変えるという

強硬策であり、その場しのぎですが、

今という観点を重視するなら有効です。

 

したがって、

長期的には①環境を変えることも

選択肢として持ちながら、

今はとりあえず②自分を変えること

から始めてみる

という策が妥当でしょう。

 

 

少し抽象的でしたので、

私の例に基づき具体的に述べます。

 

私が転職を考えていた理由は、

①自分がやりたい仕事内容とは違った

②会社が保守的すぎて自分の色が出せない

というのが主です。

(他に細かいのがいろいろありましたが)

 

ただ、私の会社にも良い部分はあり、

①給与水準は比較的高めで、将来も安泰

コンプラ違反になるほどの劣悪な労働環境ではない

といったところでしょうか。

 

こういった良い部分もあったため、

転職に踏み切れない社員が多いのでしょう。

(幸せそうに働いている社員は皆無ですが)

 

で、転職などの思い切った決断をする際は、

そのときの気分(幸福感)も大事ですが、

客観的にメリット・デメリットを天秤にかけて

人生を通しての幸福度を最大化するが何より大切です。

 

その視点で改めて考えた私は、

「まだ転職はしない」「もう少し現職を続ける」

という決定を下しました。

 

自らの意志で決定を下したので、

あとはやるしかありません。

 

ただ、今のままのマインドで働き続けても、

おそらくまた仕事に対する不満が爆発します。

 

ですので、この現状に満足するように

自己暗示をかけます。

 

そこで大事なのが、

「足るを知る」です。

 

今までは自社の悪い部分に目がいきがちでしたが、

これからは良い部分を見ていくようにします。

 

私の会社で言うと、

給与水準や福利厚生には満足しているので、

そこにフォーカスして、

「私はなんて恵まれているんだ」と。

 

そんな感じで、やっていこうと思っています。

 

みなさんも、今の現状に不満はあると思いますが、

それでもどこかに「自分は恵まれているなあ」

と思えるポイントがあるはずです。

 

「足るを知る」という古語に、

「今を幸せに生きる」ヒントが隠されている

気がしましたので、紹介させていただきました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。