善
人間なら誰しも、人として善い振る舞いをすべきである、また、そうしたいと思っているはずです。
では、人として善い行いとは、何ですか?
人を傷つけない。
嘘をつかない。
約束を守る。
このような簡単なことは、小学校までに教わりました。
しかし、現実世界では、「善」なのか「悪」なのかはっきりしない事象がたくさんあります。
傲慢な上司に物申すのか、我慢して従順になるのか。
幼い頃からの夢であるプロ野球選手を目指すのか、自分の実力では無理だと諦めるのか。
こういった問題は、各人なりの「善」あるいは「正義」に則って、解決していかなくてはなりません。
これを「決断」と呼びます。人生は大小様々な「決断」の連続です。
「決断」に客観的正解はありません。その人が自分なりの「正義」に基づいて決めた道であれば、すべて(主観的)正解になります。
冒頭で、人間誰しも「善い」行いをすべきであると述べましたが、要するに、物事の善悪は誰にも決められないのです。
人はそれぞれ価値観が違い、自分の信じる「正義」に基づき、「善」だと信じる道を行きます。
と、ここまで、つらつらと仏教の教えのようなことを語ってきましたが、本当に私が伝えたいのは、
人を悪者扱いするな!
ということです。
あなたの周りにもいませんか?
人の生き方について、あーだこーだ言う人。
(あたかも自分の生き方こそ「善」であるかのように)
まあ実は、私自身もそういう節はありました。しかし、会社を1ヶ月休み、いろいろ考えていくうちに、「みんな自分なりに精一杯生きているんだ」と気づきました。
その生き方を批判したりする権利が誰にありますか?あるとしたら家族くらいでしょう。
以前の私は、自分の生き方・選択が正しいと思っていました。すなわち、自分とは正反対の生き方をする人を卑下していました。
例えば、真面目に勉強しない人。
私は良くも悪くも真面目なタイプでしたので、日々の宿題から受験勉強まで、わりとストイックに取り組みました。
一方で、全然勉強しない、ちゃらんぽらんな人もいます。そんな人を見て、「なんで勉強せえへんのやろ。アホちゃうか。」と心の中で思っていました。
つまり、自分が「善」であり、そうでない生き方を「悪」と決めつけたわけです。
しかし、ようやく私はそのような愚かな考えを改めました。今なら、勉強しない人の立場でいろんな想像を働かせ、理解しようとします。
その人は、勉強に意味を感じていないのかもしれません。あるいは、勉強よりどうしても今やりたいことがあって、それに情熱を注ぎたいのかもしれません。
そう考えると、勉強しないことも「善」だと思えます。もしその人が勉強時間を捨ててYouTubeばかり見ていたとしても、将来すごいYouTuberになったらそれでOKですから。
例をもう一つ。
私は高校時代野球部に所属していました。当然、部員の中には3年間続けられなくて辞めてしまう人もいます。
その当時、私は3年間続けた側ですから、「続ける」ことが「善」であるという錯覚をしていました。すなわち、辞めた奴は「悪」だと。メンタルが弱いとか、周りからもそういう目で見られてしまうんです。
でも、終わった今になって思いますが、3年間野球を続けることが本当に「善」なのですか?
今の僕は、別にそうは思わないです。
野球を辞めたらそれはそれで、時間に余裕ができて、学業を頑張ったり、学園祭に注力したり、また別の収穫があったはずです。
で、この考え方って仕事にも通じると思うんです。会社を辞める人っているじゃないですか。新入社員の3割が3年で辞める時代ですが、未だに辞める社員を「悪」だと決めつける風潮があります。
とりわけ、長年その会社を続けてきたおっさんどもが、そういった考え方をお持ちです。
おっさんどもは、会社を続けてきた自分を「善」だと解釈し、肯定感が欲しいだけなのかもしれません。
だからといって、自分は「善」で、違う生き方をする奴は「悪」だと決めつけるのはおかしいのではないでしょうか。
その逆もしかりで、転職組は会社にしがみついている人を「悪」だと言いますが、これも良くありませんね。
人を尊重する。
難しいけど、大事なことです。